名前のない料理

2026.7.10 金

 この世で一番美味い料理は母親が作る料理。こればかりは、どんな凄いシェフの料理を口にしても変わらない。なにしろ育っていく中でつちかわれた味覚に加えて、自分の中のいろんな記憶と密接に結び付いたジャッジだからフェアな判断なんて出来るわけがない。
 カレーライスにオムライス、ハンバーグやコロッケ、かた焼きそばに餃子、天ぷら、酢豚にミートソース。母の作るいかにも昭和な家庭料理はこうして名前で呼べるものがほとんどだった。
 オレが名前のない料理を食べるようになったのは、東京に出て一人暮らしをするようになり、自炊を始めてからた。とにかく金がない。ありあわせのもんで工夫して、なんとか食えるもんを作らなくてはならなかった。とりあえず残りもんを塩気や醤油で炒めればおかずにはなるし、ミソがなければ醤油とだしの素で適当な汁を作った。もちろん名のある料理じゃないから、「今日は貧乏炒めと貧乏汁でいくか」なんて独り言を言いながら、ささっと有り合わせのもんで作ったりしていたけど、大失敗のときもあれば、何かの拍子で意外と美味いもんが出来たり。経験を積み重ねると失敗は減るけどね。
 で、本題。この名前がないってのが即興の根幹にあるもんなんじゃないかな。違うかな。名前がある料理って、最初から目指す方向があってそこに向かうわけだけど、名のない料理は、最初から目指す方向やレシピがあるんじゃなくて、あるものでなんとか食えるもんをつべこべ言わずに工夫して作るわけで、ね、なんか即興っぽいでしょ。
 オレみたいに料理のスキルのない人間が、追い詰められて、わずかばかりの料理の経験をフル活用しながら作る即興の料理もあれば、例えば北大路魯山人みたいに、その日に手に入った食材で芸術と呼べるような料理を即興的に作ってしまう達人もいたりして、あ、もちろん魯山人の料理なんて口にしたこともないけど、でも、素人の料理であれ、最高のスキルを持ったプロの作る料理であれ、その場でささっと作る名の無い料理は、音楽でいう即興演奏にも通じるような気がするのだ。即興演奏もプロであれ、楽器の経験のない人であれ、誰でもできるし、そんな演奏には普通名前がないしね。

2026.7.10