デヴィッドやクリスチャンとカタコトの会話をした日から23年後の1999年。オレは香港のミュージシャンのディクソン・ディー、東京のミュージシャンSachiko Mと共に北京でライブをやっていた。会場は火山夜総会という名の巨大なディスコ。ぼくら3人はそこでおそらく北京では初めての徹底してミニマルな即興演奏のライブをやったんだけど、1000人は余裕で入る会場に10人ほどの観客。中国でやるのは厳しいなあと思いつつ、それでも主催する人がいて、少ないけれど僕らを知っている熱心なお客さんがいることにまずは驚いたし感激もしていた。
主催者は蘭州から北京に出てきたばかりの青年、詩人の顔峻(YAN JUN)。彼とともに一緒にライブを企画していた若い青年たちが、深夜ぞろぞろとホテルにやって来て、部屋で話し込むことになったのだ。話し込むと言っても、みんなバラバラの出自だから共通言語がないのだ、オレは下手な英語は出来るけど中国語は出来ない。YAN JUNたちは中国語以外は話せない。僕らは車座になって床に座り込み、ひたすら紙の上にボールペンを走らせながら、漢字で筆談をした。
当時の彼らは情報に飢えていたと思う。まだインターネットが普及する前夜の話だ。日本の僕らがどうやって音楽を始めたのか。どんな音楽を聴いて来たのか。欧米とはどんな交流をし、日本にはどんな音楽家がいるのか。そんな話から始まり、即顔峻興のこと、ノイズのこと、そして双方の日常の話やこれからの交流の話まで、僕らは世が明けるまでひたすら筆談で話し続けた。
この時、オレはデヴィッドやクリスチャンがうちに来た日のことを思い出していた。お互いの話がなかなか通じない感じも似ていたし、情報に飢えているところも生写しだった。今回はオレの方が質問攻めにあう立場になったけど、それもあって、オレは彼らに全力で応えようと思った。デヴィッドやクリスチャンがそうだったように。でもそうは思ってもあの時以上に言葉の壁は厚いし、カタコトの度合いもかなりのもんだ。オレにとっても彼らにとっても、多分筆談で話をするのなんて初めてだったしね。かつて日本から中国に行った空海は筆談で話をしたって伝えられているけど、漢詩を使えたエリート空海と違い、僕らは互いの文化に共通する漢字を手がかりに、即興やノイズの話をするしかなかった。
韓国のソウルでも、同じ時期に同じような事があった。90年代終わりから00年代にかけて、オレは度々ソウルに行って即興演奏をやっている。あるときコンサートが終わった後、かつてポップスをやっていたという青年が英語の通訳を連れてやって来たのだ。彼もまたさまざま情報を聞きたがっていた。いったいなぜこんな音楽をやっているのか。どうやって即興演奏にたどり着いたのかの質問攻めにあったけど、互いにまどろっこしくなったのかな、深夜になった頃にはカタコトで直接話していた。この青年がリュウ・ハンキルだ。
この話にはちゃんと後日談がある。それからちょうど2〜3年たちインターネットが普及し出した頃だ。中国の即興演奏の情報はないものかと探していたときに見つけてしまったのだ。「北京」「即興演奏」の文字と共にゆっくりとスクロールする写真に写っているのはあの顔峻ではないか。詩人だった彼は音楽批評の本を出すようになり、同時に音楽も初めていたのだ。インターネットを使ってオレは彼と連絡を取り合うようになり、2008年には一緒にFEN(Fer East Network)というユニットをシンガポールで出会ったユエン・チーワイと、あとは前段にも出てきたソウルのリュウ・ハンキルと共に組むことにした。
このグループを組んだときに決めた事が3つあった。
●そのときその時で誰がリーダになっても良い。
●リハーサルも音楽の方向を決めるような話しも、基本しない。
●なるべく食事や打ち上げは一緒にする。
それだけだった。音楽的な方向があってグループを作ったのではなく、このメンバーでやるとどうなるかの方に興味があったからだ。
元々アジア地域には共通の言葉があるわけではないから、複数の国々のアジア人が集まると英語で話さざるをえなかったりする。元々英語を話すシンガポール出身のチーワイ以外英語は後から学んだ言葉で、だからネイティブな言語のように自由に使えるわけではない。それでも僕らはカタコトの会話を楽しんだ。そして多分カタコトなのは言葉だけではなく音楽もなのだ。なぜなら僕らは事前にリハーサルもしなければどんな音楽をやるかも決めないことにしている。冒頭に書いた居酒屋の会話のようにだ。だから僕らは特定の音楽言語を決めて、例えばジャズのように即興演奏をしているわけではない。即興演奏のような音楽になってもいいし、歌を歌ったって構わない。ステージ上で全く意見の合わないような音楽をやってもいいし、仲良く同じような音楽になったっていい。音楽の方向を決めるような話をしない以上、どんな音楽になったかのジャッジもしなくていいと思っている。カタコトのままでいいと。意味と音がグラデーションのままでもいいと。