マ、マ、マ……イ、ネーム、イズ、ヨシヒデ、オオ、オオ……オオトモ! ナナナイス、トゥー、ミーチュー!
めちゃくちゃカタコトの日本語訛りの英語だったと思う。1986年@月、ニューヨークから初来日するミュージシャンのデビッド・モスとクリスチャン・マークレーを浜松町のモノレール駅の改札で出迎えたときのオレの一言目の言葉だ。当時オレは27歳。彼らはオレが強烈に影響を受けたミュージシャンで、その二人に会えるだけでも大緊張だってのに、ある事情で来日早々、この二人はオレのアパートに泊まることになっていたのだ。当時オレは結婚したてで引っ越したばかりの比較的広めのアパートに住んでいて、キッチンとリビングをうまく使えば二人が泊まれる部屋をかろうじて確保できたのだ。とはいえ、初めて来た言葉も通じない土地で、よりによって日本では広めとはいえ、プライベートのあまりない小さなアパートに泊まらざるを得なかった二人を思うと不憫で申し訳ない気分だ。もっともツアーで海外のミュージシャンが人の家に泊まることは普通にあって、何より、オレは敬愛する二人がうちに来るってだけで舞い上がりたいくらい嬉しかったのだ。
嬉しかったけれど、問題はオレの英語力だ。これまで英語で誰かとコミュニケーションした経験は皆無。学校も高校の途中から行かなくなってしまって、かろうじて中学の授業の英語の記憶が残ってはいたけれど、あの頃の中学の英語はひたすら教科書を読んで書くだけで、英会話なんてしたことすらない。英語の先生の英語もカタカナで書けそうな発音だったし、かくいうオレもそんなだった。それでもオレは彼らと会話をしたくて、来日の数ヶ月前から英会話の本と中学の英語の教科書を手に入れて、一から英語の勉強を始めていた。
そのとき確かクリスチャンは慣れない旅がたたったのかお腹を壊していたし、デヴィッドも疲れている上に謎の若造の家に押し込まれて、きっと多少イラっとしてたんじゃないかな。そんな二人を前に、当時オレはどうやってコミュニケーションしたのかな。とにかく身振り手振りと辞書を片手に、なんとか少しでも滞在を楽しんでもらおうと必死だった。かつその上に二人と音楽の話をしたくて、これも必死だったと思う。日本のいろんな音楽を聴かせたり、もちろん自分の音楽も聴かせたり、彼らのことを根掘り葉掘り、それこそカタコトの英語で聞きまくった。彼らの返事も簡単には理解できなかったから、何度も聞き返してしまったり、ときに完全に勘違いして理解したり。どう考えてもウザい若者だったけど、今考えると、これがオレのカタコト人生の始まりだった。あまりスマートな話じゃないし、なんかカッコ悪い始まりだけれど、でも、このカタコトのコミュニケーションと、そこで生じる勘違いが、後々のオレの考えのベースを作り、それが即興を考える際の基盤になっていったと今では思っている。
2026.6.30